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花と鳥の万華鏡 |
―春草・御舟の花、栖鳳・松篁の鳥― |
Kaleidoscope of Birds and Flowers : Flowers by Shunsô and Gyoshû, Birds by Seihô and Shôkô |
古来、花と鳥は自然の美しさの象徴として親しまれ、それらを慈しむ心情が文学や美術などを通じて表現されてきました。 特に絵画では、色や形だけでなく花の咲いて散るさま、鳥の動く姿もモティーフとして描かれています。
また、花鳥が独立した画題となってからは、屏風などの大画面では春夏秋冬の花と鳥が集う華麗な四季花鳥図が好まれ、一方で小画面では花びらや鳥の羽の一枚一枚に至るまで緻密に描き込んだ花鳥画も人気を博しました。 |
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「花と鳥の万華鏡」展 山種美術館 |
時に愛らしく、時に優美な 「花」 と 「鳥」 の姿は、多くの人を魅了します |
【展覧会の構成】 ―プレスリリース他からの抜粋文章です― |
横山大観(2点)、速水御舟(7点)、竹内栖鳳(5点)、上村松篁(4点)、菱田春草(2点) をはじめ近代画家たちの作品を中心に、花や鳥をテーマにした選りすぐりの山種美術館所蔵作品を57点展示しています。 |
第1章 花と鳥の競演 〜江戸時代から現代にいたる花鳥画を展示〜 |
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・鈴木其一 (1796-1858) 《四季花鳥図》 19世紀(江戸時代) 紙本金地・彩色 山種美術館蔵 |
第2章 花の世界 |
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・速水御舟 (1894-1935) 《牡丹花(墨牡丹)》 1934(昭和 9)年 紙本・墨画彩色 山種美術館蔵 |
第3章 鳥の世界 〜様々な動く鳥の姿に着目した作品を展示〜 |
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・小山 硬 (1934- ) 《海 鵜》 1980(昭和55)年 46歳作 再興第65回院展 紙本・彩色 山種美術館蔵 |
―春草・御舟の花、栖鳳・松篁の鳥― |
菱田春草(1874-1911) |
長野県飯田市に生まれ、明治21年に上京し、結城正明に師事する。 23年東京美術学校に入学し、28年卒業。 最高点を得た卒業制作 《寡婦と孤児》
は、斬新ゆえに論議を呼んだ。 29年同校予備課程の教員嘱託となるが、31年東京美術学校騒動に際して辞職、日本美術院設立に参加。 36年大観とインドに渡り、翌37年には天心、大観らとアメリカに渡り、ヨーロッパ経由で帰国。
将来を嘱望されていたが、明治44年病状が悪化し死去した。 |
速水御舟(1894-1935) |
明治27年東京浅草に生まれる。 44年安田靫彦らと紅児会に入会、今村紫紅に大きな感化を受ける。大正2年 紅児会解散後、 原三溪の援助で京都に移住し、翌年御舟と改め母方の姓をついで速水姓を名乗る。
日本美術院再興第一回展に 《近村(紙すき場)》 を出品、院友に推される。 昭和5年ローマ日本美術展に大観に随伴して渡欧し、西欧各地を巡歴、帰国後
《女二題》 などの人物画に新しい境地を見せた。 昭和10年3月不遇の病に斃れ42歳で歿した。 |
竹内栖鳳(1864-1942) |
元治元年京都御池油小路に生まれ、明治14年幸野棋嶺に師事し、棲鳳と号す。 19年京都青年絵画研究会に参加し、内外の博覧会、共進会で受賞を重ねる。
28年京都市美術工芸学校教諭に就任、京都画壇の若手作家の旗手として活躍する。 33年パリ万博で銅牌を受賞、翌年にかけて欧州を旅行し、帰国後、栖鳳と改号した。
文展では第一回より審査員を務め、大正2年帝室技芸員、同8年帝国美術院会員、昭和12年帝国芸術院会員、京都市立絵画専門学校教授をつとめ、多くの俊秀を輩出。
大正7年門下生による国画会創作協会の顧問となる。 昭和12年第一回文化勲章を受章、東の大観、西の栖鳳と並び称された。 |
上村松篁(1902-2001) |
明治35年京都市に生まれる、母上村松園。 京都市立絵画専門学校本科、研究科を卒業後、西山翠嶂に師事、青甲社に学ぶ。 大正10年帝展初入選以来毎回入選。 昭和23年山本丘人、吉岡堅二らと創造美術の創立に参加。 創造美術は後に新制作協会と合体さらに創画となる。 昭和56年芸術院会員、昭和58年文化功労者、翌年文化勲章受章。長男淳之も日本画家で創画会会員。 |
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